●日本写真の開祖
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上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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田村銀之助

12歳で新選組入隊 安政3年8月1日(1856年8月30日) - 大正13年(1924年)8月20日)

田村銀之助 田村銀之助 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像
 まだ子供ですよね。顔が幼いです。
田村銀之助は慶応3年(1867年)兄の一郎、録四郎と共に12歳で新選組に入隊しますが余りにも若年だったため隊士としてではなく新選組幹部の小姓として所属します。
 戦いにこそ参加しませんでしたが、戊辰戦争では会津戦争、箱館戦争と最後まで新選組と共に行動します。
 箱館政権では榎本武揚総裁の小姓となり、陸軍隊隊長春日左衛門の養子となります。
 函館での戦闘が激しくなり土方歳三や義父の春日左衛門が戦死し、もはやこれまでと悟った榎本武揚、大鳥圭介らは銀之助等の若い命を惜しみ五稜郭を出て新政府軍投降するよう勧めますが、銀之助は「十五の命が惜しければ三十でも惜しい。だからといって八十、九十になればたりるというものでもないはず」(この辺ちょっと年齢が合いませんが?)とこれを断固拒否します。結果的には榎本武揚自ら降伏したことにより田村銀之助も助かります。
 その後は明治政府に仕え、陸軍士官として西南戦争などに参戦、また榎本武揚の縁で黒田清隆に就いて北海道開拓使にも加わります。
 大正時代には戊辰戦争の談話を残しています。伊庭八郎のモルヒネによる自決は田村銀之助の証言によるものです。
大正13年(1924年)、死去。享年69。

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