12歳で新選組入隊 安政3年8月1日(1856年8月30日) - 大正13年(1924年)8月20日)
12歳で新選組入隊 安政3年8月1日(1856年8月30日) - 大正13年(1924年)8月20日)
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 まだ子供ですよね。顔が幼いです。 田村銀之助は慶応3年(1867年)兄の一郎、録四郎と共に12歳で新選組に入隊しますが余りにも若年だったため隊士としてではなく新選組幹部の小姓として所属します。 戦いにこそ参加しませんでしたが、戊辰戦争では会津戦争、箱館戦争と最後まで新選組と共に行動します。 箱館政権では榎本武揚総裁の小姓となり、陸軍隊隊長春日左衛門の養子となります。 函館での戦闘が激しくなり土方歳三や義父の春日左衛門が戦死し、もはやこれまでと悟った榎本武揚、大鳥圭介らは銀之助等の若い命を惜しみ五稜郭を出て新政府軍投降するよう勧めますが、銀之助は「十五の命が惜しければ三十でも惜しい。だからといって八十、九十になればたりるというものでもないはず」(この辺ちょっと年齢が合いませんが?)とこれを断固拒否します。結果的には榎本武揚自ら降伏したことにより田村銀之助も助かります。 その後は明治政府に仕え、陸軍士官として西南戦争などに参戦、また榎本武揚の縁で黒田清隆に就いて北海道開拓使にも加わります。 大正時代には戊辰戦争の談話を残しています。伊庭八郎のモルヒネによる自決は田村銀之助の証言によるものです。 大正13年(1924年)、死去。享年69。 |