幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 「馨」というと優しそうな名前ですが、自分の意にそぐわぬと「雷親父」とあだ名されるほどの短気と怒声で自分の思った通りに持っていく実行力は相当なものであったらしいです。反面一旦見込んだ人には身分や出身地の如何に関せず世話をやき、年下の下級武士の伊藤俊輔(博文)にも目をかけ行動を共にする事が多く、「長州ファイヴ」として蜜出国する際にも伊藤に声を掛け、その莫大な費用も(千両)も面倒をみてやります。 |
明治政府になってからは官業を民に払い下げて財閥育成に地道を上げます。 その結果として一部の財閥との結びつきを強めることになり、西郷隆盛からは「三井の番頭さん」とイヤミを言われたそうで、汚職事件や疑獄事件へと発展していきます、特に江戸時代の南部藩「尾去沢銅山事件」では、無茶苦茶な言いがかりつけ「尾去沢銅山」を没収、それを私有化しようとしましたが、当時司法卿であった江藤新平に調査され逮捕寸前にまで事は進みますが、結局、長州藩閥の力で井上の罪はうやむやにされてしまいます。 |