幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価が高く、そのふくよかな容貌から「ダルマ相」と言われました。 日露戦争の際には日銀副総裁として国際的には反対が多い中戦費調達に成功。 また、容貌だけでなくその人生も七転び八起き、アメリカ留学では留学先の家庭から奴隷として売られ、奴隷生活。運良く帰国した後芸者のヒモ、英語教師としてまともに働き金を貯まると銀相場で失敗、海外銀山開発の詐欺に遭うと次から次と失敗の連続、しかしその度に周りから助けてもらい、日銀副総裁を経て大正10年(1921年)には内閣総理大臣となります。 しかし50円のお札の肖像に使われていたとは知りませんでした(昭和26年から33年)。1円札も10円札もかすかに記憶にはあるのですが、存在自体知りませんでした。 |