左院副議長 佐賀藩 天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 今の東京があるのは江藤新平のお陰? 明治に入り都を京都から大阪に移すと進言した大久保利通に対し、江藤新平は江戸に移すよう天皇に献言、江藤の案が取り入れられ、また江戸が東京と改称されました。 天才的な法律論者であった江藤新平が、法律を創案する司法の最高位、司法卿になります。しかし、ドロドロした政争、権力争いの結果政府を出て、佐賀の乱を起こす事となります。 結局、政敵である大久保利通の意向によって惨殺、晒し首にされてしまいますが、本当に憐れです。 江藤新平の晒し首の画像が検索すると出てきますが、いまだに晒されているようで気の毒に思います。個人的には辞めて欲しいと思ってます。 |