幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 伊庭八郎は幼少の頃、学問の方に興味があり剣術の稽古を始めるのは遅かったのですが、稽古を始めるとすぐに頭角を現し伊庭の小天狗とまで言われるようになります。 慶応2年将軍護衛のため遊撃隊に入り鳥羽・伏見の戦いに参戦しますが、新政府軍に敗れて江戸へ敗退、江戸に戻ってから人見勝太郎、請西藩主林忠崇等と共に戦います。上野戦争が始まるや、遊撃隊は江戸に向かう新政府軍の江戸入りを阻止する為、箱根の関所に於いて小田原藩兵と戦闘。この時左手首の皮一枚を残して斬られ、以後左手は不自由となります。 その後、怪我の治療を受け、榎本艦隊に合流し蝦夷地へ行き、箱館に到着後選挙により遊撃隊隊長となります。 五稜郭の戦いでは、隻腕になりながらも幕軍を率いて徹底抗戦を続けますが瀕死の重傷を負い、もはやこれまでと榎本武揚の差し出したモルヒネを飲み干し自決します。 (田村銀之助による証言) 享年26歳 |