新選組の後援者 文政10年9月25日(1827年11月14日) - 明治35年( 1902年)9月17日
新選組の後援者 文政10年9月25日(1827年11月14日) - 明治35年( 1902年)9月17日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 佐藤家は代々甲州道日野宿の名主を務めており、父の急逝のため彦五郎はわずか十一歳で名主を継ぎ、この日野本郷三千石を管理することになります。 そして17歳の時、土方歳三の姉のぶ(12歳)と結婚します。歳三は兄弟の中でも仲の良かったのぶの元へよく遊びに行き、彦五郎も義弟となった歳三を大変可愛がったそうです。。 嘉永二年(1849)、佐藤家の近所から火事が起こり、この火事の最中に一人の狂人がおこした事件で、佐藤彦五郎はあやうく斬られそうになります。これをきっかけに宿場の名主としての責任から村の治安維持防衛の必要を感じるようになり、時々日野宿を訪れていた天然理心流「近藤周助」に入門。自宅を改装して道場を開き「近藤周助」の養子になっていた「近藤勝太」(近藤勇)と兄弟弟子。同じく兄弟弟子であった「小島鹿之助」と共に「三国志」に因み3人で義兄弟の契りを交わします。 日野宿の名主の仕事を努めねばならなかったため新選組には参加できませんでしたが、相談事や資金面でのバックアップ等、生涯支え続け、真に「佐藤彦五郎」と「新選組」は一体でありました |