文政13年2月1日(1830年2月23日) - 明治33年( 1900年)3月9日
文政13年2月1日(1830年2月23日) - 明治33年( 1900年)3月9日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 武州多摩郡小野路村の名主、豪農 。 苗字帯刀を許され、小野路村を中心に近郷34ヶ村を管理する寄場名主を勤めています。同じく近隣の日野宿名主佐藤彦五郎とは「天然理心流」近藤周助の下で武芸を通じて知り合い、近藤周助の養子宮川勝太(近藤勇)と3人の交流が始まり義兄弟の契りを結ぶこととなります。 京での新選組設立の過程で物心両面で支えました。 維新後、賊軍として戦い死んだ近藤勇、土方歳三の名誉を回復すべく佐藤らと共に「殉節両雄之碑」建立に尽力し、明治6年(1873年)頃には2人の事績を書き綴った本(後に『両雄士伝』)を残しています。 |