幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 土佐藩山奥の庄屋の息子として生まれ、農民の貧しい暮らしぶりに接してきた吉村虎太郎は、身分差別のない社会の実現を夢見ていたそうです。 1861年武市半平が土佐勤王党を結成すると直ちに参加、中でも急進派として活動して行きます。武市半平太の命で長州の久坂玄瑞に合い、それから筑前国の平野国臣と出会い、薩摩藩島津久光の挙兵計画を聞き、土佐へ戻って武市半平太に土佐勤王党も脱藩して参加することを説きますが、受け入れられず脱藩。その後、浪士蜂起計画に参加しますが、「寺田屋事件」で捕縛されて土佐に送還され投獄される事になります。釈放後、再び京都へ上り、尊皇攘夷派公家中山忠光を擁立して天誅組を結成、大和国で挙兵しますが、「八月十八日の政変」で賊軍扱いとなってしまい、幕府軍の攻撃を受け大和国にて戦死。 久坂玄瑞と同様、思い描く時代の変革に一途に夢見るも、志半ばで散って行った若者の一人でした。享年27歳。 |
追記 私事の話ですが、先日大阪府と奈良県の境にある金剛山へ登ってきました。南海高野線の紀見峠駅からの登山道で途中「天誅組が駈けた道」の標識がありました。単なる山登りで、別にこういうものを目指していた訳でもなかったのですが、「ここで中山忠光が吉村虎太郎が」と思うとちょっと感激でした。 |