幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 羽織袴にYシャツネクタイ、見事な和洋折衷決まってます。左下角には帽子も持っています。 山内六三郎は池田長発と共に横浜鎖港談判使節団の通訳として同行しています。 函館戦争では榎本の書記官・通訳として行動を共にします。敗戦後は黒田清隆に見込まれて開拓使に登用され、その後、工部省、農商務省、逓信省を歴任し、鹿児島県知事となり、さらに八幡製鉄所長官になりました。 撮影は1863年パリの医学研究所を訪問した際ルイ・ルソーによって撮影されたものだそうです(池田長発も同様)。 古写真とはとても思えない撮影と処理技術の高さ(保存方法もいいですが)、当時の欧州各国と日本の科学技術の差の一端が見れます。 |