●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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寺島宗則(松木弘安)

神奈川県知事、第4代外務卿 1832年6月21日(天保3年5月23日)- 1893年(明治26 年)6月6日
寺島宗則i 寺島宗則 幕末明治天然色写真館カラー化画像

 薩摩出身の幕末の蘭学者,明治前期の政治家,外交官。
 後年の写真では髪の毛ありますので、若ハゲではありません。これぞ「THE日本人!」と思えるような風体、中々格好いいです。
 元は松木弘安と称し、10歳より蘭学者上野俊之丞(上野彦馬の父)より蘭学を学び、医者となり島津斉彬の侍医を務めていました。その後江戸に出て幕臣となり、その時より寺島宗則と改名。1862年、幕府の第1次遣欧使節(文久遣欧使節)に通訳兼医師として加わり、1865年、薩摩藩の遣英使節団にも参加、幕府と薩摩藩の両方の渡欧使節に参加しています。
 明治元年(1868)9月、神奈川県知事に任命されると、渡欧使節の経験から近代化政策を行ない、特に電気通信の重要性を政府に説きその発展に大きな役割を果たしたことから、日本の「電気通信の父」と呼ばれています。
 蘭語、英語、仏語、独語、それに薩語?(薩摩弁)に堪能で通訳なしで外交できたと言われています。真に語学の天才です。
                
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