会津藩 幕末のジャンヌ・ダルク 弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6 月14日)
会津藩 幕末のジャンヌ・ダルク 弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6 月14日)
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 NHK大河ドラマ「八重の桜」では綾瀬はるか演じる山本八重。感想としては「篤姫」と同様、女優の可愛らしさとのギャップを感じてしまいます(見るとこはそこだけかい!)。 性格は男勝りであったようで其の辺はドラマ通り、また14歳の時四斗米俵(60kg)を肩まで担ぎ上げたそうで、正に心身共の男勝りだったようです。 会津藩の砲術師範であった山本権八の子として誕生。18歳年上の兄覚馬に砲術を習いに来ていた藩校日新館の教授川崎尚之助と結婚します。しかし、尚之助は戦争の最中行方不明となります。 鶴ヶ城籠城戦にも参加し奮戦しますが同盟諸藩の降伏が相次ぎ、孤立した会津藩は明治元年9月22日、新政府軍に降伏することになります。 戊辰戦争後は兄の元に出入りしていた 新島襄と知り合い、明治8年(1875年)10月に婚約。欧米流のレディファーストが身に付いていた襄と、男勝りの性格だった八重は似合いの夫婦であったと言われています。反面、男尊女卑の明治時代においては世間からは「悪妻」と評され、襄亡き後は性格的に周りのものとのそりが合わず次第に孤独にになっていきます。その後は日清戦争で従軍看護婦に従事、「日本のナイチンゲール」と評され、更に茶道家として茶道教授の資格を得、裏千家流を広めることに貢献します。 |