幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 薩摩藩士の槍術師範を勤めていた山本五百助盛aの六男に生まれ、大変厳しく育てられました。16歳で薩摩藩兵士に採用され戊辰戦争で軍功を挙げ、その後西郷隆盛の紹介で勝海舟に学び海軍軍人への道を歩むことになります。西郷従道に海軍省大臣官房主事に任命され、日清戦争時には海軍大臣副官となります。当時海軍は陸軍参謀本部の中に含まれ、陸軍の下部組織のような存在でありましたが、山本権兵衛は海軍軍令部の独立を10年の歳月をかけ主張し続け「陸海平等」を認めさせます。 そして大規模な海軍の行政改革を断行 各方面からの反対を押し切り、大リストラや東郷平八郎を連合艦隊司令長官に大抜擢するなど大改革を行い日本海軍の発達に貢献、「日本海軍の父」と呼ばれるようになります。 また妻の登喜子さんは郭に売られてきたばかりで客をとらされる寸前の女郎でしたが、一目惚れした権兵衛は強引に足抜けさせ結婚をします。当時薩摩出身の士官が平民の娘と結婚するなど異例のことでありましたが、6人の子供に恵まれ生涯仲良く暮らしましたそうです。エライですネ。 しかし西郷隆盛→西郷柔道→山本権兵衛→東郷平八郎と続くこの抜擢人事、皆同じ町の出身、言わば町内会人事で日本の命運が左右されていたとは、結果的には悪くはなかったとは言え、恐ろしや!派(町)閥人事です。 |