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幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 今までのドラマ等に登場するイメージとは違い、かなり小柄で身長は150〜155センチ。そのためあだ名は「木鼠(きねみ)」。(リス)と言われていたそうです。 長州藩の支藩徳山藩の出身。父とは5歳で死別し、家督を継いだ義兄も佐幕派により惨殺され、家禄を失う事になり貧しい少年時代を過ごします。 明治元年箱館戦争に参加した後、陸軍に入隊し、以降佐賀の乱、西南戦争と従軍し活躍、頭角をあらわし順調に出世、日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した名将といわれています。 日本軍の参謀育成の為、教官として招かれたドイツ陸軍参謀将校のメッケルから才覚を高く評価され、日露戦争開戦を聞いたメッケルは「日本に児玉将軍が居る限り心配は要らない。児玉は必ずロシアを破り、勝利を勝ち取るであろう」と言われたそうです。 また台湾総督や大臣等も務め、政治家としての評判も高く、後には総理大臣との声も高かった児玉ですが、残念ながら日露戦争終結の翌年54歳の若さで急死します。 |