●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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山川健次郎

会津藩士 東京帝国大学総長 嘉永7年閏7月17日(1854年9月9日) - 1931年( 昭和6年)6月26日

山川健次郎 山川健次郎 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

会津藩家老山川重固の三男として生まれ、山川大蔵の弟になります。
会津戦争では白虎隊に入隊し戦いに参加しますが当時まだ15歳で白虎隊の中でも年少組、年長組とは行動を共にできず待機を命ぜられ、有名な飯盛山での白虎隊の自刃には加わりませんでした。
戊辰戦争後、謹慎を命ぜられますが会津藩の重臣達は会津の将来のため健次郎を脱走させ、会津藩秋月悌次郎の計らいで長州藩士奥平謙輔の元で教育を受けさせます。
明治4年旧幕府側に理解を示す黒田清隆からアメリカ留学の推薦を受けアメリカに行きます。アメリカエール大学で物理学の学位を取得し帰国、東京大学の前身である東京開成学校の教授補として就職、日本人として最初の物理学教授となります。
そして明治34年(1901)、健次郎48歳で東京帝国大学(旧東京開成学校)総長に選ばれます。朝敵の汚名を着せられた会津藩からの最高学府の総長就任はまさに異例のことで、旧会津藩関係者は涙を流して喜んだと言われています。

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