幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 可愛い女の子ですが、津田梅子さん(当時はむめ)7歳の時の写真です。 1871年岩倉使節団には、女子教育に関心を持っていた黒田清隆が企画した女子留学生に応募した7歳から15歳の5人の女の子が随行しています。その中の一人が最年少7歳の津田梅子さんでした。 このような年少の子をこの時代に留学させるのは大変だったでしょうが、梅子さんは立派に留学期間を終え、1882年11月に18歳で帰国します。帰国してからは岩倉使節団で同行した伊藤博文の紹介で華族女学校で英語教師として教えることとなります。しかし上流階級的気風や日本の封建的風土に馴染めず1889年7月に再び渡米。アメリカで学究を続けますが、1892年8月に帰国。再び女子華族院に勤めながら、女子教育への運動を始め、華族平民の別のない女子教育を志向し、自ら「女子英学塾」(現在の津田塾大学)の設立願を東京府知事に提出。認可を得開校し、塾長となります。進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となります。 |