●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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津田 梅子

津田塾大学創立者 1864年12月31日(元治元年12月3日) - 1929年8月16日)
津田梅子 津田梅子 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

 可愛い女の子ですが、津田梅子さん(当時はむめ)7歳の時の写真です。
 1871年岩倉使節団には、女子教育に関心を持っていた黒田清隆が企画した女子留学生に応募した7歳から15歳の5人の女の子が随行しています。その中の一人が最年少7歳の津田梅子さんでした。
 このような年少の子をこの時代に留学させるのは大変だったでしょうが、梅子さんは立派に留学期間を終え、1882年11月に18歳で帰国します。帰国してからは岩倉使節団で同行した伊藤博文の紹介で華族女学校で英語教師として教えることとなります。しかし上流階級的気風や日本の封建的風土に馴染めず1889年7月に再び渡米。アメリカで学究を続けますが、1892年8月に帰国。再び女子華族院に勤めながら、女子教育への運動を始め、華族平民の別のない女子教育を志向し、自ら「女子英学塾」(現在の津田塾大学)の設立願を東京府知事に提出。認可を得開校し、塾長となります。進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となります。


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