幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 「天才は短命」だと言われますが(統計学的根拠はなさそうですが)正にそのとおり23歳10カ月の若さで早死にしてしまいます。 その短い生涯にも係わらず、日本人の心に残る多くの名曲を残し、現在もなお唄い継がれています。「荒城の月」「花」「鳩ぽっぽ」「お正月」「箱根八里」「桃太郎」「雪やこんこ」etcどれをとっても年配の方には口ずさめるものばかりです。 滝廉太郎は東京都で生まれますが、父の転勤で各地に移り住むことになります。 15歳で東京音楽学校に入学1898年に本科を卒業後、研究科に進も作曲とピアノ演奏でめきめきと才能を伸ばしていきます。 明治時代の前半には外国の曲を日本語訳詞で唄ってましたがぎこちない歌が多く、日本人作曲家による歌を望む声が高まっていました。瀧廉太郎は最も早く、その要望に応えた作曲家と言えます。 1901年ドイツに音楽留学しますがわずか2ヶ月後に肺結核を発病し僅か1年で帰国、その後は父の故郷である大分県で療養していましたが、1903年(明治36年)6月29日自宅で亡くなりました。 もっと長生きしていたならば、もっと沢山の名曲を残していた事は間違いなく本当に残念です。 |