●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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石川啄木

本名 石川一(はじめ) 歌人・詩人 1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日
石川啄木 石川啄木 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

石川啄木が26歳で病没してから100年。
代表歌「はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る」等のイメージから貧しさの中で早世し、不遇の一生を過ごした詩人と思われていますが実際には天才気取りで生意気な明るい浪費家だったそうで、与謝野鉄幹・晶子夫妻、金田一京助宮崎郁雨等に金銭的な面倒まで見て貰うほど可愛がられ人気者であったそうです。
寺の長男として生まれ、男は啄木一人だけだったため若くして一家の扶養を負うようになります。文筆活動生計を立てたかった啄木は金を稼ぐためにも小説家を目指しますが、書いても書いても全く売れず、行き詰った時に口にしたのが短歌でした。明治41年6月3日間で281首もの歌をつくり、その時の歌が後の世へ評価を残すことになります。人生に於けるこのたったの3日間が石川啄木の名前を後世に残るようになったとも言えます。
しかし歌のイメージとは裏腹に浅草等へ娼婦通い、常に金が足りず借金を重ねる始末で現在の価値で700万円程の借金があったそうです(サラ金ならえらい事)。病気で死ぬ間際には薬代どころか食べるものを買う金さえなく困窮していたそうです。
没後は仲間により歌集「悲しき玩具」が刊行、生前のみならず死後まで周りに世話をかけた啄木ですが、それでも憎めない愛されるべき存在であったようです。

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