幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 現人神化された明治天皇と昭和天皇の狭間で印象の薄い大正天皇ですが、生まれた時から病気がちで、学習院に入学するも健康的に学習は一向に進まず学業を続けることが困難で学習院を中退することになります。その後、赤坂離宮で数人の教師による個人授業を受け成長、満18歳で貴族院皇族議員になります。 20歳で九条節子(後の貞明皇后)と結婚し結婚後は健康も良くなり、子宝にも恵まれ、子や家庭を大事にし、歴代天皇まで続いた側室制度も事実上廃止します。一人の人間として見ればごくの普通の人柄であったようで、この頃が一番幸せだったようです。 しかし、第一次世界大戦による国際情勢とその中における日本の立場の大きな変化により公務や心労が重なり再び病に伏せ、公務を続けて行くことが困難となり、大正10年11月25日、当時20歳だった皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任することで大正天皇は事実上の引退となり、大正15年11月に病状が極度に悪化し崩御されます。 在位15年、実質10年と後々に「病弱な天皇」「精神的に不安定な天皇」として一般に認識されるようになります。 |
ガーター勲章 1912年(明治45年/大正元年) 即位祝いの叙勲でしょうか? 明治天皇以降、大正、昭和、 今上天皇まで日本皇室は歴代 英国王室より叙勲されています。 ガーター(靴下止め)。左ひざに着けているのが象徴なのでしょうか、英国風ジョーク?変な名前の勲章です。 逆に天皇から英国女王には 大勲位菊花章頸飾を授与しています。 |