東征大総督 陸軍大将 福岡藩知事 天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)
東征大総督 陸軍大将 福岡藩知事 天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 有栖川宮家第9世当主。 先に有栖川宮威仁をしていますがこちらが兄、威仁とは異母兄弟になります。 有栖川熾仁は17歳の時に孝明天皇の妹・和宮親子内親王と婚約しますが、幕府の政策(公武合体策)の為、和宮は将軍・徳川家茂と結婚させることになり許嫁を取られてしまいます。尊王攘夷論者だった熾仁は公家社会においては三条実美とならぶ長州系過激攘夷派。公武合体の流れを止めようと策を謀りますが失敗(禁門の変)。孝明天皇の怒りを買い謹慎・蟄居を命ぜられます。しかし謹慎中に許嫁を取られた家茂が病死し、孝明天皇も崩御、謹慎が解かれます。ここから一気に倒幕の流れに変わり、戊辰戦争が始まると許嫁を取られた敵とばかりに自ら東征大総督の職を志願し江戸に向かいますが、熾仁率いる東海道ルートでは武力抵抗に遭遇することなく江戸に到達。実際に戦うことはなかったようです。 朝敵であった徳川慶喜とは従兄弟関係、結局、その慶喜の妹徳川貞子と結婚します。(この時代の親戚関係はややこしい) 征東軍の軍歌で有名な♪宮さん、宮さん、お馬の前に…♪の宮さんとは有栖川熾仁の事だそうです。 日清戦争でも陸軍の総参謀長となりますが、終戦前の明治28年1月15日に病死。 享年61歳 |