●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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有栖川宮威仁

ありすがわのみや たけひと 文久2年1月13日(1862年2 月11日) - 1913年(大正2年)7月5日)
有栖川宮威仁 有栖川宮威仁 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

有栖川宮幟仁(たかひと)親王の第四王子 幼称は稠宮(さわのみや)。
イケメンです。軍服もよく似合い、まさに「星の王子様」という感じです。
日清戦争中は海軍大佐となりますが生来体が弱く、実際に戦地に赴く事もなく終戦を迎えます。明治天皇から信任の厚かった威仁親王は学習院に馴染めず退学した大正天皇の教育係に任命され、以降大正天皇の後見役となります。
ロシア帝国のニコライ皇太子来日の際、接待役を命じられますが、訪日の日程中、ニコライ皇太子が警護の警察官から斬りつけられるという大事件が発生(大津事件)しますが、威仁親王の対応によりロシアとの関係悪化は回避されます。
先代の第9代有栖川宮熾仁(たるひと)は兄(異母)になりますが、継嗣ができなかったため、明治天皇に願い出て弟の稠宮(威仁)を養子とし有栖川宮の後継者とします。しかし第10代有栖川宮を継承した威仁親王自身も継嗣に恵まれず52歳で薨去、有栖川宮家は断絶してしまいます。
何年か前に有栖川宮と名乗る男性が結婚披露宴を開催、多くの招待客から祝儀等を騙し取った「有栖川宮詐欺事件」というものがありました。有栖川家を冒涜した不届きな輩です。有栖川宮威仁も草葉の陰から嘆いていた事でしょう。