●日本写真の開祖
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上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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真珠湾攻撃

太平洋戦争開戦 日本時間1941年12月8日午前1時30分 ハワイ時間7日午前6時。
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参加艦艇。空母6隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴) 、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、艦載機350機。
ハワイ時間午前7時。日の出26分前より機動部隊各空母から第一次攻撃隊が発艦。15分間で183機が発艦を完了。艦隊上空で編隊を組み真珠湾の有るオアフ島を目指します。同午前7時15分、第二次攻撃隊167機が発艦。午前7時52分「全軍突撃せよ」の合図 「トラ・トラ・トラ・・・」 の信号を発信します。
零戦
山本五十六 連合艦隊司令長官山本五十六大将
1919-23年ハーバード大学に留学。
1925-28年駐米日本大使館付武官。

アメリカに留学経験もある山本五十六は知米派としても知られていましたが、日米戦争の緒戦である真珠湾攻撃等、太平洋戦争の前半の総指揮者として米軍から恨まれ、狙われいました。
1943年4月18日ソロモン戦線に於いて、山本五十六長官は前線の視察と激励に行くことになり、その旨、前線の各基地に4月18日の分単位の視察計画を暗号電報で通知されます。米軍陸軍航空隊は、暗号解読により、戦闘機で待ち伏せ攻撃し、山本五十六大将の搭乗機を撃墜、戦死「海軍甲事件」
 話は逸れますが、地球儀の日本付近を見ると、樺太や千島列島の方は分かりづらいですが、朝鮮半島が日本列島同様に色付けされているのがよく分かります。(恣意的に赤く塗ったわけでは有りません)
お隣の国の方々が見れば怒り狂いそうな地球儀ですが、これが事実の歴史です。決して自分たちが戦勝国(戦勝国気取り?)では無い事をお分かりください。
しかし、考えてみればこの頃の事を、昨日今日の出来事の如く、今だに「ニホンガー、ニホンガー」と世界に向かって騒ぎ立てているのですね…元日本人なのに…変な国です。
第一次攻撃隊の攻撃は午前8時25分頃終了。
更に午前8時49分、第二次攻撃隊が攻撃を開始し、午前9時45分に終了しました。
空襲部隊:未帰還機29機、損傷74機、戦死55名
特別攻撃隊:甲標的 未帰還5隻、戦死9名
零戦
真珠湾への攻撃開始に際し、米国へ「宣戦布告」の文書が渡ったのが攻撃後30分。当然、国際法違反となります。遅れた原因として、攻撃直前までの情報の秘匿と、外務省、大使館員らの能力不足が言われていますが、アリバイ作りか言い訳にしか思えません。第一波の奇襲攻撃より、アメリカ軍が体制を立て直した大二波攻撃の方が日本側の損害が大きい事からも分かるように、攻撃30分前に宣戦布告の通知をしていたならば、結果はどうなっていたか分かりません。また、日本側の戦果発表とは違い、真珠湾の水深が浅かったため、戦艦は沈没に至らず、着底しただけに留まり、与えた損害は数カ月で回復できる程度でしかなく、そして最大の誤算は航空母艦が一隻もいなかった事です。結局長い目で見れば太平洋での作戦能力に大きな影響は少なかったと言われています。この真珠湾攻撃を現在どのように評価していいのか分かりませんが、「宣戦布告なしの騙し討ち」との国際的な評価がやはり気になります(日本の汚点)。
             山本五十六 
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