幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 回天の魁志、新撰組を作った男、幕末の風雲児等々と呼び声の高い清河八郎。 学者でありながらも北辰一刀流の免許皆伝、文武両道に優れ、尊皇攘夷派の中心人物であったと言われてます。 司馬遼太郎氏は「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた」とまで評しています。しかし、この当時の学者と言われる人は概してプライドが高く、大風呂敷を広げる御仁が多く、清河八郎も口はかなり達者だったようです。 新撰組の前身となる浪士組を結成するにあたり、尊皇攘夷派でありながら幕府に対し、洛上する将軍の警護との名目で幕府の金で浪士をかき集め、いざ京都に着くと本当の目的は幕府を倒すために京都に来たと言う、幕府を騙すのは良いとしても(幕府があほやから)浪士達を騙すのは浪士をバカにしてたとしか思えません。結局この一件で幕府に命を狙われ、刺客によって斬首。策士、策に溺れたと言う事でしょうか? この後、京都に残った浪士組の一部は近藤勇、芹沢鴨らの壬生浪士組となり新撰組と名を改める事になります。 |