幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 勿論、商才には長けていたようですが、経歴をみればとにかく「世渡り上手」であったことが伺えます。政商として成長する過程には常に時の権力、実力者と結びつき巨万の富を手に入れていきます。 土佐藩時代には、吉田東洋、後藤象二郎に仕え長崎に派遣されますが、派遣された先では公金で女遊び。吉田東洋暗殺後、土佐勤王党の監視や脱藩士の探索などに大坂に派遣された時は、尊皇攘夷派が勢力を増しているのを見るや途中放棄、一緒に派遣されていた藩士は岡田以蔵らに暗殺されています。 その後は後藤象二郎の元で藩の商務組織である土佐商会の長崎主任を命じられるがこれが徐々に私企業、三菱商会に変化して行き、そしてここでも時の政治家と結びつき政府の仕事を独占的に引き受ける事と成り、西南戦争では運送の仕事を一手に引き受け大儲け、極めつけは維新政府が樹立されて紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時、新政府の高官となっていた後藤象二郎から各藩の藩札を新政府が買い上げるとの情報を事前に知らされ、10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得ます。今では考えられないような悪徳商人のようですが、当時はこんなことが当たり前、いや現在でも政官財の「ずぶずぶ」の関係は同じのようです。 |