朴 正煕
第5 〜9代大韓民國大統領 (1917年11月14日 - 1979年10月26 日)
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少し前までは韓流やらなんやらで、TVでは毎日韓国番組、レンタルビデオ店も韓流コーナーに圧倒され、それほど身近に文化交流も発展しました。韓国側も以前のような反日意識も改善していくのだろうと思っていました。ところがどっこいそんな考えは甘すぎました。李明博大統領の竹島上陸以降、新大統領朴槿恵のいきなりの反日全開の就任挨拶。歴史を直視、反省、謝罪と賠償、慰安婦、旭日旗等々、何から何まで、もう自国の悪い事は全て日本の性と訳の分からない事を宣っております。
そういった韓国に対し嫌がらせのような画像になるのかもしれませんが、現大統領朴槿恵のお父上、朴正煕第5 〜9代大統領であります。写真は朴正煕日本陸軍師範学校のもののようです。朴正煕は満州国関東軍中尉で終戦を迎えています。
終戦後は大韓民国に戻り、1961年5月軍事クーデターを起こし、1963年選挙大統領に就任します。
独裁、強権政治等悪い評価もありますが
一方、北朝鮮以下だった国家経済を「漢江の奇跡」と呼ばれる程に一流国家並の経済発展を成し遂、韓国経済に貢献した功績は偉大です。
親日家であったという見方も有りますが、日韓基本条約での賠償金を、個人に支払らわれるべきものまでも全て国家が受け取り、経済開発、富国強兵のために使い、賠償
金そのものを国民に知らせていなかった事が |
今日の日韓関係に影響を及ぼしているとも言えます。しかし「漢江の奇跡」に結びつく韓国の未来を考えた場合その判断は間違いなかったのかも知れません。
以下 朴正煕語録です。 (ウィキペディアよりコピー)
「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している」
「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」
「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」
「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」
「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」 以上
今の韓国を見ているとこの頃と変わらない。時の勢力(宗主国中国)に擦り寄る事大主義、大企業(両班)優先の社会政策、李朝時代(冊封体制)の体質と変わっていないように見えます(韓国人のDNA?)。朴槿恵大統領を始め韓国民に朴正煕の言葉をもう一度読んでもらいたいものです。
ヽ(`Д´)ノ 反日告げ口外交 ニホンガ〜 ニホンガ〜 ニホンガ〜
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白洲次郎