●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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白洲次郎(マッカーサーをしかりつけた男)

終戦連絡中央事務局次長 (1902年2月17日 - 1985年11月28日)

白洲次郎 白洲次郎
芦屋の坊ちゃんとして生まれ、気ままで好き放題に育ち、絶えず喧嘩をしていたので、家ではいつでも相手の家庭に誤りに行けるよう菓子折りを常備していたと言われています。
男前で背が高く、おまけに大金持ちの息子とあればモテて当然、女性関係も盛んでありました。
1919年、神戸一中を卒業しケンブリッジ大学に留学、家からは年間(現在換算4000万円)の大金が仕送りされ、車好きだった彼は高級車ベントレーを購入、イギリスでは高級車を乗り回している東洋人として有名になり、そんなことから政界・財界人とも人脈を広げていきます。
1929年帰国、結婚をし財界に身を置きます。この間海外に赴くことが多く駐イギリス大使であった吉田茂と知り合い、イギリス大使館を定宿とするほどになります。
1945年東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田の懇請で終戦連絡中央事務局に就任。ここで次郎はイギリス仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張し、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言われ、また「マッカーサーをしかりつけた男」の異名も其の辺から来たようです。
死ぬときに勢いよく書かれた遺書にはたった二行「葬式無用、戒名不用」
真に破天荒な人生でありました。

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