●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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中島三郎助

浦賀奉行所与力 文政4年1月25日(1821年2月27日) - 明治2年5月16日(1869年6月25日)
中島三郎助 中島三郎助 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

 ペリー来航から箱館戦争まで、幕末を身を持って体験した数少ない人物の一人です。技術者(造船学、航海学、蒸気機関学、砲術などの専門家)であり、軍人(剣術家、砲術家、海軍士官)
 嘉永6年6月(1853年7月)浦賀に来航したペリーの艦隊と交渉するために「副奉行」と高位の身分を偽り談判。ペリーと幕府の仲介役を務めます。
 慶応4年(1868年)1月に戊辰戦争が勃発すると、海軍副総裁・榎本武揚らと行動を共にして江戸・品川沖を脱出、蝦夷地へ渡海し、蝦夷共和国箱館奉行並となります。戊辰戦争の最後の戦い箱館戦争で奮戦するも、箱館市中が新政府軍に占領され、降伏を勧められます。
中島自身は五稜郭への撤退勧告も、新政府軍からの降伏勧告も拒否し徹底抗戦。五稜郭降伏2日前の明治2年5月16日(1869年6月25)、長男の恒太郎・次男の英次郎らと共に戦死します。
 真に「ラストサムライ」という称号が相応しい人物でした。享年49歳。
風貌は初老の感じですが、まだ40代。
マントを羽織って、とてもダンディな感じがします。刀の柄頭の形が西洋剣のようで珍しくこちらも格好いいですね。

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