幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 ペリー来航から箱館戦争まで、幕末を身を持って体験した数少ない人物の一人です。技術者(造船学、航海学、蒸気機関学、砲術などの専門家)であり、軍人(剣術家、砲術家、海軍士官) 嘉永6年6月(1853年7月)浦賀に来航したペリーの艦隊と交渉するために「副奉行」と高位の身分を偽り談判。ペリーと幕府の仲介役を務めます。 慶応4年(1868年)1月に戊辰戦争が勃発すると、海軍副総裁・榎本武揚らと行動を共にして江戸・品川沖を脱出、蝦夷地へ渡海し、蝦夷共和国箱館奉行並となります。戊辰戦争の最後の戦い箱館戦争で奮戦するも、箱館市中が新政府軍に占領され、降伏を勧められます。 中島自身は五稜郭への撤退勧告も、新政府軍からの降伏勧告も拒否し徹底抗戦。五稜郭降伏2日前の明治2年5月16日(1869年6月25)、長男の恒太郎・次男の英次郎らと共に戦死します。 真に「ラストサムライ」という称号が相応しい人物でした。享年49歳。 風貌は初老の感じですが、まだ40代。 マントを羽織って、とてもダンディな感じがします。刀の柄頭の形が西洋剣のようで珍しくこちらも格好いいですね。 |