●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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毛利敬親

(もうりたかちか)長州藩 第13代藩主 文政2年2月10日(1819年3月5日)〜明治4年3月28日(1871年5月17日)
毛利敬親 池田長発 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 

 毛利家は関ヶ原の戦いで西側の総大将となるのですが、毛利家内の意見の違いもあり、東軍(家康)と「合戦には参加しないので戦後の毛利家の処遇は、すべて従来通りで、領国も安堵する」との密約を交わします。そして、その通り合戦には参加しませんでしたが、戦いが終わると八ヶ国の領土を二ヶ国に減じられ、以後、外様大名として監視を受け、参勤交代等度、重なる手伝普請役に辛酸を舐めさせられる結果となります。
 以降、長州藩では「倒幕」が極秘の「国是」で、新年拝賀の儀で家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると、藩主は毎年「時期尚早」と答えるのが習わしだったといいます。
 毛利敬親はそんな窮乏していた藩財政の大改革を行い、実質100万石におよぶ経済力を持つ程に成功を収め、同時に藩士の文武両道、軍事力強化も行います。
 一方「君臨すれども統治せず」と家中の派閥(中道派、尊王攘夷派、佐幕派)の誰が来ても、家臣が提出する案件に対して常に「そうせい」の一言で承認。
人呼んで「そうせい侯」と呼ばれるほど柔軟な姿勢に努めます。そんな藩体質がうまく機能したのでしょうか、長州藩は時代の潮流の急先鋒となり、260年余りの長年の恨み、倒幕(倒徳川)を果たし、明治時代(長州時代?)を築く事と成ります。

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