・明治文学に於いて夏目漱石と並ぶ文豪です。 幼少の頃から大変聡明な人物で、第一大学区医学校(現東大)に年齢を2歳若く偽り入学し19歳で卒業、その後陸軍軍医になります。長州藩出身の森林太郎は山縣有朋など長州派閥の贔屓もあってか最終的に軍医総監(中将相当)に昇進し陸軍軍医のトップになります。 森林太郎に付いて私が思うのはやはりこの陸軍時代における脚気惨害への対応です。脚気は古くから認識されている病気で、当時致死率10%と言う恐い病気でありました。当時原因は分かりませんでしたが、経験的に麦飯を食する事が効果があると言われ、海軍の多くと陸軍の一部で効果が実証されていました。しかし軍医部長の林太郎は脚気伝染病説を強く主張し日清、日露戦争に現地から麦食給与の要請があるも一切無視し続け、麦飯禁止令までだす始末、結果的に日清戦争では戦死者977人に対して脚気による死亡者は4064人。日露戦争に於いては陸軍戦死者約4万6400人、脚気による死亡者約2万7千人が死亡する事態となります。戦わずして、これだけ多くの死者を出した事は敵が利するだけでなく、病死者一人ひとりの気持ちを考える時「御国の役に立てなかった」(こんな言葉も嫌いですが)という無念な思いで死んでいったかを考えると胸が痛くなります。 |