幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 明治天皇の皇后、 左大臣一条忠香の三女として生まれ、初めの名は勝子。明治元年に美子(はるこ)と改名。義姉の美賀子も徳川慶喜に嫁いでいます。 病弱のため子供を産めなかったので大正天皇の実母ではなく明治天皇の側室が生んだ嘉仁親王(大正天皇)を養子として育てています。 皇后時代には女子教育や社会事業に関心が深く国際赤十字に多額の寄付や華族女学校(現学習院女子高等科)、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立しています。生涯に3万首を超える和歌を詠み現在も上記学校に於いて歌い継がれているそうです。 明治天皇が崩御された後に大正天皇即位に伴い「皇太后」となりますが、「皇太后」自身が崩御された後には、生前の身位序列が一番高い「皇后」と追号されるべきなのですが何故「皇太后」のままなのか、その辺は興味深い話もあるので調べて見てください。 |