越前国福井藩藩士 天保5年3月11日(1834年4月19日) - 安政6年10月7日(1859年11月1日)
越前国福井藩藩士 天保5年3月11日(1834年4月19日) - 安政6年10月7日(1859年11月1日)
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 福井城下に生まれ、大坂、江戸で洋学、医学を学び、藩主松平慶永(春嶽)に認められて藩学明道館の幹事となります。 幕府の将軍継嗣けいし問題では、藩主 松平春嶽を先頭に、一橋慶喜を立てる運動を展開。しかし、井伊大老の就任によってこの運動は失敗。1859年安政の大獄によって死刑にされます。享年26才。 15歳のときに「啓発録」を著し、自己を律する行動指針(5訓)を定めました。 一、「稚心を去れ」 二、「気を振え」 三、「志を立てる」 四、「学に勉める」 五、「交友を選ぶ」 15歳で偉いです。 橋本左内の肖像画は、主に2種類有りますが男前の方を採用しました。でも、役者絵のようで、もう一方の顔の方が信憑性がありそうな気がします。 |