第32代アメリカ大統領 1882年1月30日 - 1945年4月12日
第32代アメリカ大統領 1882年1月30日 - 1945年4月12日
太平洋戦争の原因は諸説ありますが、大きな要因のひとつとして挙げられるのが、ルーズベルトが欧州戦線に参戦するため(アメリカ国民は参戦に反対)に日本を挑発し、戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んみ、戦争に引きずり込んだと言われています。 その辺の真偽は他で勉強して戴くとして、ルーズベルト自身、日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたとも指摘されています。日中戦争の際に蒋介石を強く支持し、軍事費の借款を行う等親中派、太平洋戦争戦時中は日系人の財産を没収し、更には強制収容を行いました。また「日本人の頭蓋骨は白人に比べ2000年遅れている」と周囲に語るなど日本人を見下していたようです。 第二次世界大戦の大勢が決まった1945年2月4日〜11日、チャーチル、スターリンと米英ソ3首脳でヤルタ会談を開催、戦後処理についての話し合いを持ちます。ここでルーズベルトはスターリンに対日参戦を要請、見返りに、日露戦争後日本領になった南樺太の返還と千島列島の領有権を認めます。しかしルーズベルトはその2ヶ月程後の4月12日、昼食前に脳溢血で死去(暗殺説もあり)します。 終戦まであと4ヶ月という時期でありましたが大統領職は副大統領のトルーマンに引き継がれます。 |