駐日行使 1843年6月30日〜1929年8月26日
駐日行使 1843年6月30日〜1929年8月26日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 アーネスト・サトウは日本駐在通訳に応募して19歳で初来日、1862年〜1883年と1895年〜1900年と合わせて25年間日本に滞在し、佐藤愛之助または薩道愛之助という日本名を持ち、正式な結婚ではありませんが家庭も持ち2男1女をもうけています。 この写真は22、3歳の若い頃のものです。 来日した直後の9月14日に生麦事件が発生、またその前から勃発している外国人殺傷事件の賠償問題交渉等にいきなり参加することになります。 その後も薩英戦争、下関戦争等々、幕末維新の節目となる数々の事件や、薩長や幕府の要人とも会談等、日本と外国との橋渡しを務め貢献してきました。 イギリスが1900年当時植民地化していた清国に対し1902年に日英同盟が結ばれます。これはアーネスト・サトウがイギリス本国に送った日本への好意的な評価報告書が影響されていると言われています。 |