幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 薩摩藩主の父島津久光の一行が江戸から京都へ帰る途中、行列が生麦村に差しかかった折り、東海道で乗馬を楽しんでいたイギリス人4人組と遭遇、藩士たちが身振り手振りで下馬し道を譲るように知らせようとしたが通じず、行列の中をどんどん逆行して進み、ついに久光の乗る駕籠のすぐ近くまで来たところで、供回りの藩士たちの無礼を咎める声に、異様な雰囲気にまずいと感じた4人組は引き返そうとします。しかし、時すでに遅く、数人の藩士に斬りかかれられ1人が死亡、2人が重傷となります。この時期、過激攘夷派による外国人襲撃事件が相次いでいますが、この事件に関しては偶発的なものであり、いわば交通事故のようなもので被害者がたまたま外国人であったというだけのものでした。しかし、公の藩が起こした事件であったということで事は大きくなり、イギリスは幕府に対して謝罪と賠償金10万ポンド(30万両位)を要求、薩摩藩には直接同藩と交渉し、犯人の処罰及び賠償金2万5千ポンドを要求することを通告します。幕府は賠償金を払いますが、薩摩藩はこれに応ぜず、ついに薩英戦争に発展、結局薩摩は破れますがイギリス側も被害が大きく結局和解。これをきっかけに薩摩とイギリスとの友好関係が深まることになり、この後に起こる倒幕への大きなターニングポイントとなる事件と言えます。 *画像ですが、9月ということで彼岸花を咲かしてみました(余計?)。 |