陸軍大将(当時は中将) 1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日
陸軍大将(当時は中将) 1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 太平洋戦争の勃発日12月8日と言うと、多くの人は真珠湾攻撃が頭に浮かびます。 しかし、それより1時間20分前の日本時間12月8日午前1時30分、イギリス領マレー半島に奇襲上陸、経済封鎖の難局を打開するための南方作戦が開始されます。 戦略的には真珠湾攻撃も南方作戦の一貫であり、絶対必勝のためには2つの地点で同時刻に奇襲攻撃(宣戦布告は無し)を開始する必要がありました。 戦略目標は天然資源の豊富なオランダ領東インド(現インドネシア)ですが、東インドに至るには、まずイギリスを叩く必要があり、また真珠湾攻撃もアメリカ軍の西太平洋への機動力を奪うのが目的でありました。 1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入します。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であり、南方作戦は見事な成功裡に終りました。 しかし、日本の戦争は1937年よりの日中戦争に加え、この新たな太平洋戦線により、 アメリカ等の連合国軍との戦いになります。この後の南方戦線は、圧倒的な兵力差により、日本軍は悲惨極まる戦いに陥って行く事となります。 |