●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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山下奉文やました ともゆき)マレーの虎

陸軍大将(当時は中将) 1885年(明治18年)11月8日 - 1946年(昭和21年)2月23日

山下奉文 山下奉文 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

太平洋戦争の勃発日12月8日と言うと、多くの人は真珠湾攻撃が頭に浮かびます。
しかし、それより1時間20分前の日本時間12月8日午前1時30分、イギリス領マレー半島に奇襲上陸、経済封鎖の難局を打開するための南方作戦が開始されます。
戦略的には真珠湾攻撃も南方作戦の一貫であり、絶対必勝のためには2つの地点で同時刻に奇襲攻撃(宣戦布告は無し)を開始する必要がありました。
戦略目標は天然資源の豊富なオランダ領東インド(現インドネシア)ですが、東インドに至るには、まずイギリスを叩く必要があり、また真珠湾攻撃もアメリカ軍の西太平洋への機動力を奪うのが目的でありました。
1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入します。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であり、南方作戦は見事な成功裡に終りました。
しかし、日本の戦争は1937年よりの日中戦争に加え、この新たな太平洋戦線により、
アメリカ等の連合国軍との戦いになります。この後の南方戦線は、圧倒的な兵力差により、日本軍は悲惨極まる戦いに陥って行く事となります。

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