幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 「唐人お吉」として有名なのですが、「唐人」と言うのは彼女の不幸な生涯に対する蔑称なので本名をタイトルにしました。 斎藤きちは初代駐日アメリカ公使タウンゼント・ハリスの妾として(実際には誤解のようですが)幕府の役人から執拗に斡旋され、家族や恋人の処遇向上等のためやむなく引き受けます。その時お吉には支度金25両、年棒120両の約束がされました(ハリスの召使の給料が月一両二分だったそうですから、かなりのの大金です)。結局僅か3日で解雇されましたが、その後外国人に身を任せたとして世間から唐人と言う仇名を名前に付けられ、冷たい目を向けられるようになり、48歳で自殺をするまで不幸な生涯を送ったそうです。 この画像は本当の斎藤きちの画像ではないようですが、憂いのある悲しそうな顔は彼女の生涯を物語っているようです。 この画像には髪飾りは無いのですが他の画像から持ってきています |