●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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小栗忠順(ただまさ)

勘定奉行、外国奉行 文政10年6月23日〜慶応4年閏4月6日(1827年7月16日〜1868年5月27日)
小栗忠順 小栗忠順; 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

 写真を撮るにも拘らず不安そうな浮かない顔、必殺仕事人の中村主水ではありませんが、昼行灯と言う感じがぴったりです。しかし実際の小栗忠順は決してそんな事は無く、幕臣有数の切れ者。安政7年(1860年)、遣米使節目付(監察)として渡米した際は、軍艦奉行に木村芥舟が司令官、勝海舟が艦長、その他に福澤諭吉も乗っていましたが、小栗忠順が代表と間違われたほど最堂々としていたそうです。
 大政奉還後も薩長への主戦論を唱えるも肝心の慶喜にその意思は失く、罷免されて領地である上野国(群馬)に隠遁。東善寺を住まいとし学問塾の師事や水田整備、用水路建設の日々を送り、平穏な日々を送るも、新政府に対し敵意あるものと薩長軍に見なされ逮捕、翌日烏川のほとりで家臣3名と共に斬首されます。お気の毒です。
 徳川政権の中で洋式軍隊の整備、造船所や製鉄所を開設等々、未来を見据えていた小栗忠順。新政府に対し自らの保身をを図る事も無く散っていた生き様は「ラストサムライ」の称号に相応しい人物であったと思います。

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