幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 新選組の前身である壬生浪士組に入隊、池田屋事件での活躍が認められ、四番隊隊長及び柔術師範(柔術の道場を開いていた)となりますが、その後平隊士に降格されます。その理由として愛人を囲っていた事を土方歳三に咎められ、責任を感じ自殺を行い未遂に終わったからとか、新撰組の記録では病死になっていますが、心中をしたとか諸説語られています。「壬生心中」という物語の中でその事が語られているそうです。 非常に優しい人柄であったそうです。 ただ、1865年に亡くなっている松原忠司の写真が存在するのは疑問です。 写真師「堀与兵衛」の手で京都に写真館がの開業されたのは1864年で可能性が無い事も無いのですが、丁髷も町人のような感じで、この画像が松原忠司というのは、???です。 |