第百二十一代天皇 天保2年6月14日(1831年7月22日)- 慶応2年12月25日(1867年1月30日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 仁孝天皇第四皇子、弘化3年皇位につく。江戸幕府最期の天皇。 とにかく異人嫌いで攘夷を主張し、また妹和宮を将軍家茂に嫁がせるなど公武合体の立場をとっていました。この攘夷と公武合体が孝明天皇のキーワードとなります。 詳しくは他のサイトで見て頂きたいですが、とにかく、幕末に於いて公武合体派と倒幕派の勢力争いが混沌とする中で、公武合体派の柱となる孝明天皇が突如36歳の若さで崩御されます。この突然の死に疑問が懐かれ、「孝明天皇暗殺・明治天皇すり替え」説なるものが崩御後当時から取り立たされています。始めて聞く人にとっては、荒唐無稽な話でいわゆる「都市伝説」の類と思われるでしょうが、それがそうでもなく当時の状況、流れから見れば「なるほどそやったんか!」と納得させられるものが有ります。幕府の力を根こそぎ無くしたい倒幕派にとって公武合体、攘夷、鎖港を主張する孝明天皇はとにかく目の上のたんこぶ、かといって尊王を掲げる以上絶対的な存在で逆らうことはできません。このままでは公武合体が推し進められるだけでなく、自らの存在まで危うくしてしまいます。画して孝明天皇さえ居なくなり別の天皇を立てれば問題は一気に解決!とばかりに暗殺、孝明天皇亡き後は、勢いを増す倒幕派、慌てふためく公武合体派の図式ができあがります。またこの時、後継ぎの陸仁親王も暗殺され大室寅之祐(後の明治天皇)に入れ替わったという日本史上最大級ミステリーです。 |