●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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郡長正(こおり ながまさ)

会津藩家老・萱野権兵衛の次男 斗南藩  安政3年(1856年) - 明治4年5月1日(1871年6月6日))
郡長正 郡長正 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

 郡長正は会津藩家老・萱野権兵衛の次男として生まれました。
 郡長正の父権兵衛は戊辰戦争での会津藩の責任を背負い、明治2年に切腹したことから、家族は萱野姓を名乗ることが出来なくなり、母の姓「郡」を名を名乗ることとなります。
 明治3年(1870年)に豊津藩校育徳館に留学しますが、翌年の明治4年(1871年)5月1日に、自刃する結果となります。
自刃した真相は不明ですが、母への手紙で育徳館での食事の不満を書いたことを母から手紙で叱責され、その手紙を他藩の子弟に見られ、からかわれた事を恥じて切腹したとか、他の師弟と喧嘩をし、その際、豊津藩の小笠原家を誹謗したことを後に悔いて「小笠原の殿様に申し訳ないことをした」と腹を切った。とかの説が有ります。
 いずれにせよ、15、16歳で早まったことを、と思います。現在でも子供の自殺が問題となりますが、人生は長く、谷あり山ありです。生きていれば良いことが有ります。命は大切にして欲しいものです。