木戸孝允夫人 天保14年(1843年) - 明治19年(1886年)4月10日
木戸孝允夫人 天保14年(1843年) - 明治19年(1886年)4月10日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 木戸松子{幼少時の名は計(かず)もしくは斗(ます))}は若狭国小浜藩士木崎市兵衛の子として生まれます。幼少時の出来事は諸説あるようですが、父の市兵衛は藩内の事件で罪を受け閉門を申しつけられ、その後、困窮な生活を送ったようです。9歳で舞妓となり、14歳で京・三本木の置屋「瀧中」で芸妓となり幾松と名乗ります。 御所に近い三本木の置屋には多くの勤皇の志士達が集り、桂小五郎もその中のひとりで幾松と知り合い、幾松を気に入った小五郎は幾松に入れ込み身請けをしようと考えますが、幾松に莫大な借金がありました。小五郎に常々世話になっている伊藤博文はここぞとばかりの恩返しに金を工面し幾松を身請けします。 蛤御門の変を起こした長州藩は朝敵とれ、長州藩最高責任者の小五郎は幕府のお尋ね者なり潜伏、幾松はこの時期の小五郎の命が最も危険な時に、自らの命も危険さらしてまで手助けします。 維新後二人は晴れて正式に結婚、名前を木戸孝允、木戸松子と改め東京で生活をすることになりますが、木戸が政治活動等に忙殺され家を空けることが多く、また性格の違いもあり、あまりうまくいかなかったようです。 享年44歳 |