●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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河井 継之助(かわいつぎ(つぐ)のすけ) 

越駆け抜けた蒼龍 文政10年1月1日(1827年1月27日 ) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日)

河井継之助 河井継之助 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像

越後長岡藩上席家老
司馬遼太郎小説 「峠」 「英雄児」
 司馬遼太郎の小説の中では戊辰戦争での長岡藩の立場を新政府軍側にも幕府軍側にもつかない中立とし、長岡藩を「武装独立・中立主義の長岡公国」を宣言をします。時勢の折、そんな突拍子もない宣言を新政府軍と交渉しますが、結局官軍になるか賊軍になるかの二者択一しか認め得られず、結果新政府軍からは賊軍扱いとされ、奥羽列藩同盟に加わり北越戦争へと突き進んで行きます。(小説を読んだ訳ではありませんので、間違っていたらすみません)。
 史実の結果としては河井継之助の判断しだいでは北越戦争は回避できており、長岡藩を戦火に巻き込むこともなかったとも言われていますが、当時の奥羽列藩としては会津藩を攻めるような立場を取ることは武士としてできなかったんだと思います。
 継之助は当時日本に3門しかなかったガトリング砲(機関銃)を2門購入しており善戦しますが、敢え無く負傷、その傷がもとで死んでてしまいます。
 河井継之助は数々の名言を残しておりますがなかなか深く哲学的な感じがします。
・辞世の句は
「はじめから死ぬことは覚悟していたが、
こんなに痛いとは覚悟していなかった 」
正直?面白いです。

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