第13代将軍徳川家定御台所 天保6年12月19日(1835年2月5日) - 明治16年(1883年)11月20日
第13代将軍徳川家定御台所 天保6年12月19日(1835年2月5日) - 明治16年(1883年)11月20日
幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 篤姫と言えば宮崎あおいちゃんの顔を想像してしまいますが、ちょっとがっかり?しかしこの写真を撮った時(40過ぎ位?)とは年齢が違うので比較するのは気の毒です。(あおいちゃんなら40過ぎても可愛いと思います) あおいちゃんは、いやっ!篤姫は薩摩藩主島津家の一門・今和泉領主今和泉家第5代当主忠剛の第4子、幼名は一子。 第13代将軍・徳川家定は体が弱く子供もなく、また家定が公家から迎えた正室も2度も亡くなったことから、健康で子を沢山産める女性として島津藩に白羽の矢が立てられます。そこで藩主島津斉彬は19歳の一子を自分の養女とし名前を篤子と改め、さらに将軍家に嫁ぐには公家の出であることが必要なため、右大臣近衛忠煕のもとへ養女に出します。この時より篤君となります。 そして、家定の正室となりなりますが、わずか1年9ヶ月後に家定は急死してしまったため篤姫は落飾し天璋院となります。 その後も江戸城で大奥を切盛りして行きますが、朝廷と幕府の公武合体策が破綻し戊辰戦争勃発、幕府は破れ江戸城明け渡しとなりますが、生まれ故郷である官軍側の薩摩に2度と帰ることなく、徳川家の存続のため徳川家の人間として生涯尽力を尽くします。 享年47歳 死因 脳溢血 |