●日本写真の開祖
 (初めての方はこちらから
上野 彦馬 下岡 蓮杖
彦馬&九一 

●維新三傑
西郷隆盛  大久保利通    木戸孝允

●維新十傑 (三傑除く)
小松帯刀  大村益次郎 
前原一誠  広沢真臣 
江藤新平  横井小楠 
岩倉具視
 
●幕末四賢侯
松平慶永  伊達宗城 
山内容堂  島津斉彬

●幕末四大人斬
河上彦斎  中村半次郎 
岡田以蔵  田中新兵衛

●明治の元老
伊藤博文 黒田清隆 井上馨
山縣有朋 松方正義  大山巌 西郷従道 西園寺公望
桂太郎

●内閣総理大臣
伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望

●お札の肖像
岩倉具視 高橋是清 伊藤博文福沢諭吉 新渡戸稲造
夏目漱石 野口英世 樋口一葉
板垣退助


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高須四兄弟

右から 徳川慶勝(よしかつ55歳) 徳川茂徳(もちなが 48歳) 松平容保(かたもり44歳) 松平定敬(さだあき33歳)
高須四兄弟 高須四兄弟 幕末・明治天然色写真館 カラー化画像
撮影は明治11年、徳川慶勝邸
・徳川慶勝 14代・17代 尾張藩藩主。
・徳川茂徳 高須藩第11代藩主、尾張藩 第15代藩主、一橋徳川家第代当主。
松平容保 会津藩藩主、京都守護職
・松平定敬 第4代桑名藩藩主
高須10代藩主松平義建の子でありますが、正室の子は慶勝のみで後は側室の子でそれぞれ母親が違います。
慶勝の母は尊王攘夷派の急先鋒として知られている徳川斉昭の妹で、慶勝もその影響で尊王攘夷派。戊辰戦争では新政府軍の江戸進軍を容易にするため、行軍上の各藩に対し新政府軍に従うよう説得します。また容保は京都守護職として幕府を守る立場で定敬と共に、新政府軍に徹底抗戦。慶勝とは敵対する関係となります。
戊辰戦争後、容保と定敬は朝敵として処分を受けますが、茂徳は助命嘆願に奔走、慶勝もそれを支援し、明治5年2人は謹慎を解かれます。
慶勝は慶喜に代わり徳川家総代となり徳川家の存続に尽力し徳川家の存続が認められます。容保、定敬はその後日光東照宮の宮司となり生涯を徳川家のために尽くします。
多分久しぶり再開だと思いますが、視線はバラバラ、しかし過去の立場の違いさえあれ
兄弟の絆はしっかり結ばれていたのだと思います。

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