幕末・明治天然色写真館 カラー化画像 撮影は明治11年、徳川慶勝邸 ・徳川慶勝 14代・17代 尾張藩藩主。 ・徳川茂徳 高須藩第11代藩主、尾張藩 第15代藩主、一橋徳川家第代当主。 ・松平容保 会津藩藩主、京都守護職 ・松平定敬 第4代桑名藩藩主 高須10代藩主松平義建の子でありますが、正室の子は慶勝のみで後は側室の子でそれぞれ母親が違います。 慶勝の母は尊王攘夷派の急先鋒として知られている徳川斉昭の妹で、慶勝もその影響で尊王攘夷派。戊辰戦争では新政府軍の江戸進軍を容易にするため、行軍上の各藩に対し新政府軍に従うよう説得します。また容保は京都守護職として幕府を守る立場で定敬と共に、新政府軍に徹底抗戦。慶勝とは敵対する関係となります。 戊辰戦争後、容保と定敬は朝敵として処分を受けますが、茂徳は助命嘆願に奔走、慶勝もそれを支援し、明治5年2人は謹慎を解かれます。 慶勝は慶喜に代わり徳川家総代となり徳川家の存続に尽力し徳川家の存続が認められます。容保、定敬はその後日光東照宮の宮司となり生涯を徳川家のために尽くします。 多分久しぶり再開だと思いますが、視線はバラバラ、しかし過去の立場の違いさえあれ 兄弟の絆はしっかり結ばれていたのだと思います。 |